妾(わたし)の感想日記

徹頭徹尾女(自分)目線の感想文

体重管理

本日6か月の検診でした。締切が来るたび半徹夜等のストレスフルな目にあわされているにもかかわらず、胎児は健気に育っています。申し訳ない。

 

現在、つわりがほぼほぼ終わって10日ほどなのですが、バタバタしているうちに爆発的に体重が増えました。前月比+3kgです。さすがに看護士さんに注意されました(医師からは指摘なし)。

5ヶ月までの合計が+1.5kgくらいだったので、これで合計+4.5kg。妊娠前のBMI値が17(お腹がとても弱い)である自分は、以下の指針に基づけば、産むまでに10kg程度増えたほうがいいらしい。

厚生労働省:「妊産婦のための食生活指針」の策定について

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/02/dl/h0201-3a4.pdf

 しかし、今から月に3kg増えてたら最終的に10kgどころじゃないな。今後は管理していこう。

 

つわりが終わったら一日5食くらい余裕で食べられるし、食べた分はみんな身に着くしで、妊婦の体重管理はたいへんというのは本当なんだなと身をもって感じています。

つわり中、ネットにはなぜ妊婦は甘いものを食べるなとか低カロリーなものを食べろとかさかんに書いてあるのかと、不審に思っておりました。そもそも食べられないのに殺す気か、とか。

あれはこういう段階の妊婦に向けての注意書きだったんだな。なるほど。管理しなかったら15kgぐらい余裕でいくな。

 

ただ、妊婦に景気よく10kg増やしてよしと言うようになったのは、最近のことのようですね。上の指針は2006年策定ですが、妊婦の痩せ傾向による、低体重児出生の増加がこれを検討する理由になったとのこと。そういえばニュースでよくやっていた気がします。

この理由として「若い女性に広がる痩せ願望」とか「妊婦でも美容に気をつけたい女性の願望」といったものをあげているものもありましたが、最近はどうもそれより、産科現場の一種の「文化」を指摘するものが多いようです。

妊婦の体重を増やすことを怖れる文化が、一時現場を席巻していたと。下の記事はかなりまとまっています。

www.bloomberg.co.jp

下のような妊婦さん体験談でも、病院によっては体重の目標値を設けられ、医師・看護師・助産師などからかなりキツイ指導を受ける場合があることがわかる。

www.combibaby.com

日本の体重管理、やりすぎではないですか? : 妊娠・出産・育児 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 

この辺の方針は、現場ごとに違いが激しいみたいですね。過渡期なんだろうか。

ともかく産む機械たる妊婦としては、監視とメンテを怠るなということになるわけですね。

 

おまけ。しつこくぐぐってたら新しい研究成果のニュースが。面白そう。

www.carenet.com

アイス食べると胎動

事情あって妊娠日記をつけねばならなくなりました。余所ではいろいろしがらみあって書きにくいことがあるので、こちらで開設することにします。

といっても、もう来週から6か月です。2~5ヶ月は毎日つわりか仕事で倒れてましたよ。なんでこの世にはこんなに妊娠ブログが溢れてるんでしょうか。私は今でもある程度気持ち悪いです。みんな元気でうらやましいな。

冷たいものを食べると少しすっとするので、シャーベット的なアイス(ロッテの爽がメイン)をちびちび食べています。そうするといつも、胎動がビコビコ激しくなるのに気づきました。

胎動が激しいというのは、妊娠インターネット界では一般的に胎児が元気な証拠です(逆に、「胎動が静か」なんて検索したら恐ろしい結果を見ることになります)。

一方で同界隈には、「冷えは諸悪の根源」という常識もあります。検索すると、アイスを食べると胎動が激しくなると感じる妊婦はけっこういるようです。しかし上記の理由で、「アイスを食べると胎動が激しくなるのは、お腹が冷えて赤ちゃんが嫌がるからだ」という理論を展開する人が見られます。なるほどそうきたか。

言い方が似通っているので何か元ネタがあるのではと探したら、以下のものが見つかりました。

www.combibaby.com

192abc.com

コンビタウンは助産師さんが実名で書いてるから、そっちが元ネタだろうか。テルミー、正食、アロマテラピー…いわゆる自然派ですね。助産師さんはほんとこういう方向性の人多いな。大丈夫か。

後者はコンビタウンにかなり丸乗りして書いてますが、両者はどういう関係なんでしょうか。これも大丈夫なのか。

 

これまで見たところ、妊娠インターネット業界は目もくらむような魑魅魍魎が跋扈し生き馬の目を抜く無法地帯でして、踏み込んだが最後無傷で脱出するのは並大抵のことではないように思われます。

妊婦はネットを見ないというのが唯一無二の正解だと思いますが、あまりにも怪しすぎて、むしろ面白くてやめられなくなってきました。

今後、妊娠を機会にネット等で見てしまった情報を適宜貼り付けていくことにします。

『翔んで埼玉』復刻、魔夜先生インタ

2016年になってしまいましたがまだ生きてます。ただ、最近は可処分時間がすべて某所の審神者業に投入されててしまい、感想も何もあったものではありません。

あちらが若干頭が暇になるイベント中なので、ようやく目を離してtwitterなど見ることができました。そしたらなんとあの伝説のさいたま漫画が復刊すると。

togetter.com

21世紀も16年目になって…しかしそんなことより今すぐにパタリロが!!読みたいです!!(手元にない。号泣)

 

魔夜先生インタビューとかパタリロアニメの話とかは、ネット上に色々面白いのがあったはずだけども、とっさに下の2つしか見つからなかった。とりあえず保存。

booklive.jp

r.gnavi.co.jp

しかし私は昭和の人間として、パタリロのあれをBLと呼ぶのは断固拒否する所存。

依存症の深淵:「借金は身を滅ぼす」

大分前に話題になったらしい下のメルマガのまとめを先ほど読了。

破滅へ向かう人の心中はどのようなものであるのか、なかなかのぞくことのできない深淵を赤裸々に描いてくれる名作です。

matome.naver.jp

筆者はパチスロで多くの金融機関に借金を作り、次々とやってくる返済期限を新たな借り入れによってしのぐという行為を繰り返します。

本文の一パートごとに総借入額・借入先・月の返済額が示され、読み進めると雪だるまのように膨らんでいく筆者の危機を追体験することに。走り続ける借金列車がどこでどのような終末を迎えるのか、手に汗握りながら一気に読み切ってしまいました。

 

ただこの記事、問題の核心は借金ではなく「ギャンブル中毒(依存症)」なんですよね。借金もそれを隠す嘘も人間関係の破たんも、依存症の典型的な症状ですし。それをメインテーマにしなかったのは、依存症者の否認症状の表れか、単にその方が書きやすかったのか。

 

 筆者は手に入るあらゆるお金をすべてパチスロに突っ込みます。学生や社会人としての生活は表面上こなすし、こんなことをしていてはいけないという自覚もあるのですが、しかし「あと一回やってやめよう」とか「一万円だけなら」などの思いから結局陥落。返済期限前のピンチは深刻さを増す。

いよいよダメかと思うときの脳神経が焼けつくような焦燥、何とか乗り越えたときの高揚感。視界は狭く、歪んでいく一方。

 

私にとってこれ、他人事じゃありません。仕事やりたくなくてダラダラネットを見てて、締切が間近になったときの状況そのものです。今まさにそういう状況でこの記事を発見したところで、深く考えさせられました。

自分に関して言えば、もっと自己コントロールしろというそれだけなのですが、しかし一般論としてはどうか。依存症は逃避や「心の弱さ」の延長なのか、はたまた依存性の高い物質やサービスの起こす悪なのか。仕事したくないからネットするのか、ネットが面白いから仕事しなくなるのか――この問題に決着をつけることは非常に難しく、また意味もないような気がする。おそらくそれは鶏と卵の関係みたいなものだろう。

 

現代社会の日常生活は人の嗜癖をお金に換える商売で満ち溢れており、誰かが依存の深淵に落ちてくれるのを虎視眈々と狙っている。落ちるのはたしかに、特定の弱さを持っている人だろう。ただ、人が嗜癖するものはあまりに多く、お酒やタバコに始まり、買い物、SNS、ネットサーフィン、ある種の「意識高い」活動にいたるまで、何にも引っかからない人はまれではないか。

むしろこれを現代社会に生きる上での宿命と覚悟して、嗜癖を飼いならしたり、やり過ごすしたりする方法を開発したり、シェアしていくほうがよいではないかなどということまでつらつら考えました。

ただそれは、コントロールをむしばんでいくものを客観視してできる限りコントロールしていこうということなわけで、困難を極める試みであることは間違いないな。

意識高い系バービー&ヨミドクターセックスレス特集

 この一週間は夏休みを満喫しております。1日10時間くらい寝て起きると顔から脂が滴り落ちそうになっています。その上無意味に一晩中ネットサーフィンしてたりして、夏休み序盤のもこっちそのものです。だからというわけではないのですが、いつの間にかわたモテを全巻読みかえしており、www.ganganonline.com

短い夏休みのあいだに本当に無駄な精神的ダメージを食らいました。もこっちの2倍以上生きても自己管理力が育ちません。

 以下、夏休みネットサーフィン中にとおりすがった諸々の感想。

 

英語圏の意識高いSNS by バービー

www.buzzfeed.com

リア充byバービーと書かれて流れてきましたが、多分これは「意識高い系」ですね。

 

 

 ヨミドクターのセックスレス特集

 実際にはずいぶん前から興味深く読んでる記事なんですが。

www.yomidr.yomiuri.co.jp

たいへん真摯な、力の入った特集です。敬意を持って拝読しております。きわめて深刻な問題を扱っているため、こういう言い方をするのは憚られるのですが、面白いです。ものっすごく。

この手の問題を真正面から扱う記事が、性行動に関する個人史を赤裸々に記述することで、「医療記事に見せかけたエロ記事」として読めるものになってしまうのは仕方のないことです。性の問題を扱う上でどうしても回避できない問題です。

しかしこの特集では、そんなありきたりな予想の範囲を個性的な登場人物たちが斜め上に越えていき、セックスレスの話を読んでると思いきや最後には全然違う話になっていた、という事態が頻発します。サイコ系ショートショートを読んでいるような感覚にさえ襲われます。

でもこれは記述が混乱しているのではなく、むしろ誠実な記述がセックスレスという問題の本質をついていることを意味しているのです。セックスレスというのは、2人の人間のあいだに積み重なった、種々の問題のひとつの表れでしかないというのがよくわかる。

しかしこの特集の記事を書くのは本当に気を遣うだろうと思う。取材に答えてくれた人を傷つけるわけにいかないが、しかし個人の問題をむやみに避けていては何の意味もないという板挟み。想像するだけで鬱になりそうです。

それでも記述をうまく工夫されていて、大事な点がちゃんと読み取れるようになっているのには頭が下がります。勉強させていただきました。

だが第1話のエロ鍼灸師、お前は駄目だ死ね。

『昭和元禄落語心中』②

前回今すぐ死にそうなことを書いてしまいましたがまだ生きてます。

前のやつを読み返してみると自分の鬱状態がどんなもんだか客観的に確認できる貴重な記録になっててしみじみします。せっかくだから残しておこう。

 

しかし、人前で話すのが辛いというのは私だけじゃないんですね!!

夏休み中下の本を読んで、最前線で働く世界の女性が同じことを言っているのを知り泣いておりました。

なぜ女は男のように自信をもてないのか

なぜ女は男のように自信をもてないのか

 

女がはまりがちな思考パターン、たとえば「完璧にできてないと駄目だと思う」「批判を怖れる」「失敗すると自分を(人格的に)責める」「考えすぎる、心配する、過ぎたことにとらわれる」 といったものが、出世する(×仕事をする)上で大きな障害となっているという話。

いろいろ面白かったので、これについてもいずれ感想を書きたい。

ただこの本の結論は「自信はやっぱり努力が生むのよ!」であり、BBCホワイトハウス担当記者を務める著者にそういうことを言われると、大抵の女性は上の思考パターンにしたがって「私がダメなのはこの人より才能もない上に努力が足りないからだ」とただ確信するだけでしょう。

著者の溢れる善意とは裏腹に、そういう罪深い面もある本です。

 

 それで標題の『昭和元禄落語心中』の件ですが、

昭和元禄落語心中(8)

昭和元禄落語心中(8)

 

 当然ながら放置している間に何を書きたかったのかサッパリ忘れてしまいました。ああその間に8巻出てる。とりあえず読んで来た。

 

ちなみに夏休み中、この人の下のマンガも読んでみたのですが、

新宿ラッキーホール (onBLUE comics)

新宿ラッキーホール (onBLUE comics)

 

 ガチの腐女子もの書く人だったんですね(20世紀の人間だからわかんないんですが、おっさんしかでてこなくてもBLっていうのだろうか)。

上のマンガ、主要キャラのタイプが八雲師匠といい与太と重なります。師匠も与太も、長い時間かけて作られたキャラだったんだな。これは作品の安定感に寄与してそう。

その分、2人のキャラ造形はちょっと男性には理解しがたいかもしれない。

 

それでも、ぶれない端正な物語運びで、とても心地よく読ませてもらえます。

また何たってセリフが良い。八雲師匠の東京弁のカッコいいこと。ともかく隙のないかっこよさです。作者の愛が感じられる。

この作品の主になっているのは「うつりゆく時代の中の芸と人」という骨太なテーマ性であり、個々のキャラクターはそれにガッチリと統制されています。

いわゆる「キャラ立ち」しているキャラというのはいないので、ともすれば淡白な、印象の薄い話になりかねないところ。しかし流れるセリフの快感(落語場面も含めて)がそれを補って余りある。その心地よさだけで、どんどん読んでいくことが出来る。

物語を言葉で表現するということもありますが、言葉自体が物語の推進力になるという、昔よく戯曲を読んでいた時の感じを思いだしました。

話すことの恐怖と快楽:『昭和元禄落語心中』①

何ですか、もう6月も今日で終わりなんですって。ここで更新しないと「日記と称して月一度更新」という何か月前だかの記述さえ無効になるということで、人間の意地として更新せざるを得ません。

ただ今、ひどい鬱状態なんですよね。できれば一言も発したくない、話すにしろ書くにしろ。連休中に夏休みまでのスケジュールが山盛り過ぎてそれだけで鬱が入ってたんですが、やってみたら案の定夏休みまでもたないという予定調和な結果です。

しかし何とかあと1ヶ月はもたせなくては。いやこの状況に至るまで2か月かかってないのに、もう1ヶ月って有り得ないわ。

 

何が問題って、私は人前で自己表現するというのが大嫌いだということです。しかし現在、週に270分以上多いときは3ケタの人の前で話をしております。最近はときどき必要に迫られて英会話学校行ったり外国人とスカイプしたりとか、負わされるタスクのコミュニケーション難易度が年々高まり、無理がたたって数年来最強の鬱状態

それでなんでブログなんて書いてんだって話ですが、これ書かなくても現在鬱のまま今週のタスクのウィンドウ を3つくらい開いてるので、一つくらい増えても変わらないのです。ただこういうときは記憶がしばしば欠落するので、昨夜はドーピングのため旦那に肉を食わ せてもらいました。

 

とにかく、人前で話すのは恐ろしいことです。

だだっぴろい空間の壇上に一人で立って、居 並ぶ観客の反応をすべて背負わなければならない。刻々変わる空気に合わせて、うまく話の筋と自分の動作をコントロールしようとする。うまくいくときもあるけど、お題と状況、自分のスキルによっては本当にどうにもならない時もある。攻めてみてウケなかった(のに、そのまま続けなくてはならない)ときの恐ろしさ。準備不足であれば焦燥で頭は真っ白。自分はいいと思ったのに観客から批判された時の混乱と失望。しかしハマったときには中毒的なカタルシス。

 

そのすべてが、『昭和元禄落語心中』の中にはあるんですよね。

昭和元禄落語心中(1) (KCx)

昭和元禄落語心中(1) (KCx)

 

噺家という話すことの極北を目指す人々の話に、私なんかがシンパシーを覚えるのはとてもおこがましいのですが、ライトの熱さ、暗がりの中に恐る恐るうかがう観客の表情、口を開くときの身を切るような緊張感など、頁をめくるたびに目もくらむような思いになります。

さらに高座を降りて繰り広げられる、時代を超えた人生のドラマ。これを品を保って描きだすところに、作者の知性に裏打ちされた禁欲的努力を感じます。

こういう芸事の特殊な世界は、リアルに書くほど一般受けしない濃いキャラクターのオンパレードになってしまうのですが、そこを全く割り引かずに書いているのも脅威です。これは編集の人も偉いよなあ(以下、いつか続く)。