妾(わたし)の感想日記

徹頭徹尾女(自分)目線の感想文

食欲は世界を開く:『ダンジョン飯』1巻

今すっごくやりたくない仕事をするためのソフトウェアを起動しないといけないのですが、無意識の作用でデスクトップにあるはずのアイコンが見えません。

そういうときはその次にやりたくない仕事を逃避的に片づけるのが定石ですが、それはそれで不健康なので、今回は代わりにkoboデスクトップアプリのアイコンをクリックして『ダンジョン飯』1巻を読み返すことにしました。

 こ のマンガ、「ああこんなに面白いのに20世紀のRPG嗜んでる人にしか通じない、勿体ない」とか思っていたら、某多摩の駅中本屋で多面陳列されていた。こ ういう舞台設定のRPGって今の若い子にも理解可能なんだろうか。現実がリアルダンジョン過ぎて10年くらいRPG触れてないので、様子がまったくわかり ません。

でもこのマンガをこれから読む人で、この手のRPGやったことない人(年配者とかリア充出身女子)は、昔のドラクエでいいから事前 にやっておくといいよなあ。でもそういう人はそもそもこのマンガ読む気をおこさないのか。いや2010年代に生きる者としてそれはもったいなさすぎる。両方やれば2倍おいしいということで是非。

 

もうさんざん各所で語られているように、本書は剣と魔法とダンジョンのRPG的世界を舞台に繰り広げられる、料理(グルメ)マンガ(のパロディ)です。

料理されるのはダンジョンの魔物です。スライムは干物にして鍋の具に、バジリスクローストチキンに、マンドレイクはオムレツの具にされます。分量や栄養価、手順が親切に紹介され、調理の手つきもわかりやすく描写されています。明日にでもご家庭で作れそう。材料さえあれば。

 

このアイデアだけでも一本取れそうなところですが、このマンガはそれにとどまりません。主人公の剣士・ライオスは研究熱(魔物生態研究)が昂じたマッドサイ エンティスト系変態、ドワーフ・センシは求道心(魔物料理)が昂じた職人系変態。いろいろ切羽詰まった事情があって、協力してダンジョンに潜り込むことになるのですが、1人でもどうかと思う変態キャラ2人の個性が絡み合い、常人の理解の範疇をはるかに超えて魔物料理の新たな地平を切り開いていく、爽快なアドベンチャーというかプロジェクトX的というか、そういう面さえあるのです。

 

作者のマンガは他に下のを読んだことがありますが、人と社会のすれ違いを敏感に感じ取る瑞々しい感性があふれていました。反面「社会に必要なもの、不要なものとは」というテーマの周りをぐるぐるしすぎており、読んでて疲れてしまうところもあり。

竜の学校は山の上

竜の学校は山の上

 

しかし今作は、著者が自分の実力をいかんなく発揮し、いきいきと楽しんで書いてるように感じられます。やっぱ人間楽しく仕事しないとねえ。

 

そしてこのマンガの最大の魅力にして物語を支える屋台骨、それは緻密に考え抜かれた疑似生物・生態学描写です。ハンティングアドベンチャーも魔物料理描写も、これなくしては成り立ちません。

(ちなみに、疑似生物・生態学とここで呼んでいるのは、下のようなやつです)

鼻行類―新しく発見された哺乳類の構造と生活 (平凡社ライブラリー)

鼻行類―新しく発見された哺乳類の構造と生活 (平凡社ライブラリー)

 

 なぜスライムは外側がべちゃべちゃなのか?バジリスクに蹴られないためにはどうしたらいいか?

RPG世界のおなじみのモンスターたちが「なぜああなっているのか」を、こちらの世界の生物生態学知識にうまくリンクさせて説明してくれます。その説得力たるや、ストーリー抜きでこれだけ展開していっても楽しめるくらい(単行本のおまけマンガでやっているように)。

 

そしてもっとも感心させられるのは、マンガ全体に貫かれている、食・食欲と人、世界についてのある種の哲学です。

食うことは、人を世界と、他なる生物とつなぐということです。

「食べることは命をつなぐこと」とか「自然とのつながりを感じること」とか、そういうお題目を言いたいのではありません。

「こいつは生き物だ!(注略)だったらいくらでも倒し方がある。そして食える」

こういうことです。

「食べたい」という欲望は、人間を未知の世界・未知の対象へと突き動かす、絶大な力になるということです。

食いたいから倒そうとする、倒すために知ろうとす る、どうせ食うならおいしくしようとする、おいしくするためにはもっと生態を知って改良する、他の材料が必要ならそれを求めて未知の海へも漕ぎ出す…… 等々。

主人公ライオスは、魔物を倒しているうちに魔物愛が芽生え、ついでに味も知りたくなってしまった。上の「食べたいから知る」が本能から生じる知識欲なら、彼の知識欲から来る食欲というのは、倒錯的と言えないこともない。

しかし、それこそ人間の人間たるところ。人間の本能は好奇心に追い越される。さかなクンでいえば、魚を愛する→味を知りたい→「おいしくいただいちゃいましたっ!」というやつ。

食と人間の欲望に関する、愛情ある深い考察。全編にそれが充満していて、読んでて嬉しくなってくるのです。

 

一巻だけでも読み込むところがあり過ぎる凄いマンガ。このクオリティをそのままに、ゆっくり大事に進めてほしいです。作者はもちろん、編集さんも頑張ってほしい。楽しみにしてます。

北海道、近代と人:『親なるもの 断崖』

家族行事も一段落した連休終盤、夏休みまでのスケジュールを手帳に整理したら鬱で眠れなくなりました。やめればよかった。

自分は生命力にだいぶ欠けた人間なので、現代日本に生まなかったら、まず30までに死んでます。家やら村落の共同体になじめず、かといってそれを振り切る気力もなく、何とかまっとうな人間の皮をかぶろうとして体力をすり減らした挙句、病気に罹るか出産に耐え切れなくなるかして、相当嫌な死に方をするだろうことが容易に想像できます。

連休中、広告に惹かれて下のマンガを読むことで、その思いを新たにしました。この世界に生まれてたらもう死んでる絶対死んでる。

親なるもの断崖 1 (エメラルドコミックス)

親なるもの断崖 1 (エメラルドコミックス)

 

 電子版→http://sps.k-manga.jp/link.php?d=dl&m=dl000&b=pv&book_id=86007

舞台は20世紀初頭の北海道・室蘭、製鉄のために作られた街。

近代という時代が人の生き血をくらって走り続けてきたことを描くのに、北海道ほど適した舞台はないでしょう。技術や生産力は加速度的に上がる、でも人の命は現在と比べて圧倒的に安い。故郷から切り離されて売られてきた労働者(タコを含む)や、その相手をするた娼妓たちのような、二束三文で使える命を大量に使い倒してこそ、50年かそこらで日本は「近代国家」らしきものになることができた。

その身そのものが近代化の燃料になった人について、われわれは現在、ほとんど何も知ることができません。下のような執念の調査によって、まれにその存在が浮かび上がることがあるくらいで。

北辺に斃れたタコ労働者

最近流行の「産業革命遺産」にも、なかなかこういう人々の姿は反映できません。歴史を明るく描き出したい現代人の意向のせいもあるでしょうが、それ以上に、彼らについては記録が残らないのです。誰にも見とられずに異郷に果てる人々が、何かを語っていたとしても、聞く人も残す人もいない。

前置きが長くなりましたが、『親なるもの 断崖』の作者は、彼女の故郷室蘭を作り上げてその地下に眠る、名もないたくさんの人々を、渾身の力で蘇らせようとしたのだと思いました。

第一部の主人公は、東北の寒村から売られてきた4人の娘たち。不況の農村では、娘は間引かれるか売られるか。十代始めで親から離れ、遊郭に送り込まれる。そこでは労働者たちから体でカネを巻き上げる道具としてのみ生かされる。

少女たちは何とか生き延びようとしますが、病気と暴力とストレスにさいなまれ、生き残るのはそのうちふたりだけ。彼女たちは何度も絶望を叫ぶ。実りのない愛にすがりつく。揚句にやはり、生きのびようとする。作中の彼女らの台詞は、声を残さずに消えていった人たちがたしかに発していただろうと確信できるような、生々しさにあふれています。

フィクションでしか表し得ない「リアリティ」があるとしたら、このマンガは十二分にそれを実現しています。声が記録が残らないなら、物語として生み出すしかない。筆者がこのたいへん難しい仕事を為し得たのは、故郷への深い愛情ゆえでしょう。

物語は、少女たちの一人が生き延びて残した娘が戦争を乗り越え、平和な世の中でそれを受け継ぐ子どもたちを育てていくところで終わる。斃れた人の思いが、世代を超えて受け継がれていく。作者はその中にいる自分を感じ、また自分のあとにも受け継がれていくよう願っているのだろうと思います。

たとえ私がその中にいたら瞬殺されるであろう厳しい大地であろうとも、このような先人との強い絆の物語を持つ北海道の人々は、うらやましいなとも思います。

 

…以上が真面目な書評なのですが、その他中年女子の感想として。

中途半端に優しくして、結局弱い立場の女を窮地に追い込む聡一さんは最悪ですね。しかも最初抱かなかった理由とかもチキン過ぎてだいぶイラッとします。やだわーこういう坊ちゃん。戦前左翼青年像としてこれもリアルではあるのですが。

そして直吉…お梅の初めての男だからってこれほどいい男にしてしまうと、ちょっと都合よすぎにみえる。ここはもったいない。でもそうでなくては無惨で読み進められない読者もいるかもなあ。

その他の男性描写の八割は、遊郭でゲヘゲヘ言ってるところで、読んでしばらく旦那の見方がネガティブになるという副作用が生じ得るので注意。男性読者にもリアリティ的にやや辛いものがあるだろうなあ。基本的に女子向けのマンガですね。

 『女の友情と筋肉』

前回ルミネCMについて書いたついでに触れた『女の友情と筋肉』ですが、

『女の友情と筋肉』KANA | ツイ4 | 最前線

ユウヤみたいな「いつの間にか女の家に住み着く」というスキルを持つ男を、私は都合4人ほどリアルで知っていますが、これは遺伝子に組み込まれた男子のメジャー生存戦略の一つなんだと思っています。配偶行動における「スニーカー」などと同じように、名前を付けて公式に登録すべきではないか。

それはつまり、女子の「何かの世話をしたい」という、本来子どもに向けるはずだった「世話欲」を、本人の知らぬ間に自分に向けさせるというたいへん合理的なストラテジーです。もっと研究されてしかるべきだ。

 

ところでこのマンガ、『ダ・ヴィンチ』さんの著者インタビューによれば、もとは女子向けLINEスタンプだったそうです。

それが結果的にマッスルという形になった経緯を以下のように説明されていますが、ここには現代のアラサー超え女子が、自分たちについて語る言葉をなかなか持てないという状況がよく表れていると思います。

筋肉ムキムキOLがかわいい! 『女の友情と筋肉』KANAインタビュー | ダ・ヴィンチニュース

――なぜ筋肉のスタンプを……?

【KANA】「女性同士で気持ちが伝わるものにしたいと思った結果、気がついたら筋肉になっていました」

――……?

【KANA】「女性がよく使う、ふわふわした白くて丸い感じのスタンプだとありふれていますし、そういったスタンプは男性に向けて送るのであって、 女性同士のもっと正直なコミュニケーションやはげまし合いに使えるスタンプを作りたくて。それで、なんとなく浮かんだのがマッスルでした(笑)。試しに少 し描いてみると自分でも元気が出る感じがしたので、そのまま勢いで一気に40個描き上げました」

メディア経由で「女子はこういうのが好きなんだろう」と与えられる記号や言葉、モノは、おしゃれ、ピンク、かわいい、ゆるふわ、優しい感じ、てなものが強固な観念連合を組む世界です。

でも一社会人としての生活というのは、おしゃれもピンクも可愛いもゆるふわも正直何の役にも立たない場面の連続です。

生活と社会に追われると眉毛を抜く暇も気力もないときもありますが、そんなものはボーボーでもとりあえずは何とかなるのが大多数の生活領域であり、事実何とかしている人々が、現実のアラサー以上の女子の多数を占めるのです。

そういう脂汗を流しながら生きる生活実感を持つ女子にとっては、ピンクとか白のふわふわした世界は、なんかこう遠いものに思えてくるのですよ。それより、オラ来いやァァと叫びながら生きて精神的にムキムキになった自分を表現する言葉や記号がモデルが欲しい。

でもメディアはそれをほとんど供給しません。だから、生活や社会と闘って勝利を勝ち得ている女でも、これでよいのか?といつも自問せざるを得ない。

がんばっても大丈夫、受け入れられる、愛されるということが自明であるような世界が欲しいのです。

それを実現しているのが、『女の友情と筋肉』の世界です。

心身共にムキムキの女子だけれども、それが楽しみたいように楽しみ、パートナーを得、悩むべきところに悩むことができる理想郷なのです。

 

しかし現実の世界において、メディアにはムキムキな女はなかなか出てこない。

もしムキムキな女とピンクやふわふわが組み合わされたり、彼氏とラブラブだったりしたら、それはだいたい奇形的な組み合わせであり、笑いでその違和を解消するか、注釈が必要とされます。

ムキムキ【でも】愛されている場合、顔はまずまずだから、料理がうまいから、男には尽す可愛い女だから、…みたいな注釈がないと、納得されないのが現代日本メディアにおける女です。事実、上のダ・ヴィンチのインタビュアーは、上の引用に続いて「彼女らの彼氏たちはなぜ彼女が好きなのか」と作者に問う。ムキムキ女に男がいるという状態は、彼らの言語・思考体系の中では不自然であり、説明を要する事柄なのです。

こんなことでは日本女子は、「努力して苦難に勝利してもムキムキになったら世界から愛されない」と、社会からこぞって説得されているようなものです。偉大な業績を上げているスポーツ選手でさえ、メディアにおいては「でも女の子だもん!」みたいな描き方をされる。めんどくせぇなほんとに。

 

とはいえ、読み手・受け手は闘う生活者ですから、メディアの女子像が正しいのではない、あっちのほうが足りないのであると、もうだいたい気づいちゃってるんですよね。だから、ルミネCMやその他の炎上がある。そういや、「文庫女子」フェア炎上事件なんてのもあった。

文庫本をファッションの一部に? 「文庫女子」フェアの狙いとは - ITmedia eBook USER

紀伊國屋渋谷店の「女子向けフェア」に予想外の批判が集中 - ライブドアニュース

こんなの25年前だったらスルーされてたかもしれませんが、最近は「はっ死ねば?」と受け手の鼻息で飛ばされてしまうのです。

「女子」を「おしゃれ」「恋愛」「かわいい」とかのカップリングだけで解釈しようとしたら、女だって男と同様おしゃれもモテもかわいいも動機にならない領域を持っていて、本を読むなんてその最たるものだという、周囲を見回してみればきわめて当たり前にわかるはずのことを見逃し、多くの人を不快にさせてしまった。

 

それにしても、広告・編集・書店もろもろの人たちは、この複雑な12世紀に、属性についての観念連合に固執するという、25年間の若者向け週刊誌みたいな感覚から抜けられないんだろうか。

「今年の新人は●●型!」みたいなのもそうだけど、当の若者に冷笑されると思わないのか。

 

話が面倒になってきたのでまとめますと、私は下の柴田の意見に心から賛成です。

sai-zen-sen.jp

女と仕事と「可愛い」ということ ルミネ炎上CM

感想日記と称して始めたこれが3ヶ月で3回目の更新です。一銭にもならない文章でも書く喜びを糧にズバババッとと書いてしまう世のブロガーさまは本当 に凄いと思います。私は金がからむ文章ですら書き始めるのが嫌で嫌で、いつもPCの前で身をくねらせているだけで一日が終わります。くねくね

 

ところで数日前、ルミネの新CMがセクハラを肯定するような内容だと大炎上したようです。パート1だけ見た。

ルミネCMの何がダメなのかわからない人向けにまとめました。 - Togetterまとめ

 

しかしなんでルミネは中途半端に「働く女子を応援」みたいなこと言い出したんですかね。

ルミネという世界(というか服飾・美容に関わる業界)は、可愛く(≠おしゃれ)してスクールカースト中の上以上をキープし、それによって十二分に利益を得て、これからもそこに投資する気まんまんな層をメイン顧客やらスタッフやらにしてきたのではないでしょうか。

これまでの広告も、そこの人たちが同一化できるようなものに仕上がってたじゃないですか。なんで今回のシリーズでは、「勤労女子」とかいう異様に広いカテゴリをたててしまったのか。

最大の問題は、勤労女子の応援なるものを、「あなたの可愛い度数を上げますよ、それでメリット得られますよ!」っていうスクールカースト的発想のままやっていることですよ。

服 飾・美容業界以外では、通常「可愛い度上がる→職場環境がよくなるor勤労による負荷が下がる」ということはあんまりない。むしろ可愛くするのに体力と金 と時間を使ったら生活の質は下がる。にもかかわらず無理やりこじつけるから、「①可愛くした②自信ができた③異性の評価が上がった④いろいろ全部うまくい く」みたいな陳腐な少女マンガとかレディースコミック的なストーリー(ただ、スクールカーストで恩恵を受けてきた層には説得力があるだろう)ができちゃうのですよ。①と③の関係には必ずしも②は必要ないし、②と③と④がつながるような虫のいい展開は多くの勤労男女から「マンガかよ」と鼻で笑われるでしょうし、③と④がつながってしまうのは間違いなくブラック要素強めの職場でしょう。実際、あらゆる方面から総ツッコミ。

勤労女子を応援したいなら、マルイの「らくちんキレイパンプス」とか、一部の癒し消費業界とか、ド直球で負担を軽くしてあげる方向に行くべきでしたね。

でもこの問題が、これほど速やかに炎上・幕引きされた経緯を見て、勤労女子や女子が職場にいる状態がかなり普遍的なものになってきてるんだなあとちょっと感慨深くなりました。

20世紀末とかなら、スクールカースト的価値観が女子の人生全般を覆い尽くしていて、こういう表象に誰も疑問を持たないし、疑問を口にしても誰にも聞いてもらえなかったでしょう。でも今は、「ねえよこんなの」という言葉が男女双方から発せられ、実際に状況を動かしているわけで。

今回の騒ぎからは、女子の世界が「可愛い」以外にも大きく広がっているという意識が共有されてきているのが見えるようにも思います。私が若い頃よりずっとマシになってますよ。

上位スクールカースト出身の若年女子にとって、「可愛い」がもたらす利得は今後も甚大なままでしょうが、この分なら現在の悩める非上位スクールカースト女子も、それなりに生きやすくなっていくんじゃないでしょうか。

 

ところで、ルミネが参考にすべきだったのは、むしろ下のマンガみたいな世界だったんじゃないかと思うのです。

『女の友情と筋肉』KANA | ツイ4 | 最前線

女の友情と筋肉(1) (星海社COMICS)

女の友情と筋肉(1) (星海社COMICS)

 

このマンガには、 可愛いかどうかは(客観的に)知らんが、ゴリゴリ生きたいし愛されもしたいという女子の思いがあふれていると思います。

でも今日は力つきたので後日(来月か)。

21世紀の怪盗ルパン 『怪盗ルパン伝 アバンチュリエ』(2)

アバンチュリエ』既刊読破の余韻に浸ったまま、次巻春発売予定とか待てねーよーという荒れ狂う思いのままに作ったこのブログですが、書いたらスッキリしたので1か月間放置してしまいました。よくあることです。

 

そのあいだに『修道士ファルコ』の新作が1年半くらい前からドシドシ出ていることを知って新たに大歓喜。

さらに今、hontoのクーポンで何買うかーとサイト開いて知ったんですが、荒川弘アルスラーン戦記書いてるんですってね。

潜在意識下の希望が期待以上にどんどん実現していくのを目にするにつけ、やはりお迎えが近いのかもしれないという強まる思い。だがしかしこれらの行く末を見届けるまで死ぬわけにいかない。

いやあ日本ってほんといい国ですね。

 

そんなこんなで前回、『アバンチュリエ』について何を続けて書こうとしてたんだったか全く忘れてしまったわけです。まあルパンが若い細身のイケメンで嬉しかったということを百回くらい書いてもいいのですが、自分的には。

 今読みかえしてますが、つくづく骨入ってる仕事ですねえ。

「ルパン・サーガ」を実現するという筋を通すためには、いまいち引きが弱いエピソード(ハートの7とかユダヤのランプとか)を、知名度高い名作(奇岩城とか)の前に持って来ざるを得ないわけで、いったん打ち切りの憂き目にあったのもこのためでしょう。

でも作者は、自分の筋を通す仕事をすることに決めたのですね。それで新たな掲載先をtwitterで募集する運びに。それだけこの計画に熱があり、ルパンものの面白さに裏打ちされた自信があったのでしょう。

内容もさることながら、人のそういう仕事っぷりを見るのは気持ちがいいです。

 

その筋があったればこそ、ポプラ社ルパン読者であった自分が感動したこと、それは(繰り返しになりますが)彼がだいぶ「おかしい人」であることが、自然にストーリーに組み込まれていたことです。個人史に裏付けられた、作中一貫したキャラクターとして。

危険に嗜癖し、一種幼児的な自己肯定感を持ち、過剰な承認欲求と世に容れられない性癖(盗癖)のあいだで揺れ動く不安定な人間性。100年以上前に造形されたとは思えない複雑さです。原作者は元純文学作家だったそうですが、だからこそこんなキャラでも扱い得たのかなあと。意識下の欲望とか異常心理とか、あのあたりの時代の文学って得意でしたよね、たしか。うろ覚え。

 

そのへんのルパンの複雑さは、主にルパンの女関係、とくに「まともな女」へのコンプレックスに発揮されていると思うのですが、『アバンチュリエ登場篇』一巻ではネリーさんとの再会で印象的に描かれていました。

クロチルドについてもなあ。今後出てくるヒロインのことを考えると、だいぶ穿ってみてしまいます。なんか、お綺麗な女を堕落させる快楽みたいの感じてないですか?とか。

あんまり覚えてないのですが、ポプラ社版、女関係はレイモンド以外ほとんど印象に残っていません。でもルパンのキャラの複雑さが際立つのはやはり女関係だと思うのですよ。上のようなキャラ立てとか女遍歴を踏まえてこそ、「ルパンの結婚」だって面白く読めるでしょう。さいとうちほ版も可愛くていいんですけどね、あれにはもっともっとポテンシャルがあるはずなんだ!

VSルパン 1 (フラワーコミックスアルファ)

VSルパン 1 (フラワーコミックスアルファ)

 

 ですから、ソニアさん以降も『アバンチュリエ』にはそのへん頑張っていただきたい。それもエロく、できる限りエロくお願いしたい。

そして最終的にはエロエロしいカリオストロ伯爵夫人を心待ちにしています。あれは記述の仕方が微妙で小説としては何なのですが、稀に見るハーレクイン的ポテンシャルを含め、凄く「持ってる」原作だと思うのですよ。

ちなみにある編集者の言では「女子のエロスはときめきなのよ」ということですので、それも踏まえてぜひよろしくお願いいたします。

21世紀の怪盗ルパン 『怪盗ルパン伝 アバンチュリエ』(1)

この数年、かねてから個人的に「こんなことが実現されたらもう死んでもいい」とか思っていたことが社会のあちこちで次々実現し、お迎えが来る兆しじゃないかと真剣に恐ろしくなっております。

思いつくままに列挙すると、

黒田如水(←一番好きな武将)が大河ドラマ

王妃マルゴ(ていうかアンリ四世)をしかも萩尾望都先生が漫画化

・羽生弓弦氏がオペラ座の怪人(しかも怪人のほう)をやってしかも凄かった

あとなんだっけ色々あるのですが、その最たるものの一つが、モーリス・ルブランの怪盗ルパンシリーズの本格コミカライズ作品。

『怪盗ルパン伝 アバンチュリエ』です。

怪盗ルパン、子どもときに夢中でポプラ社のシリーズ読みました。『奇岩城』は10回は読んだ。

しかし児童書のルパン像って子ども心にも何となく違和感のあるものなんですよ。「吾輩」とか自称する表紙絵の渋いおっさんが時々すごい痛い自画自賛始めたり、異様なテンションで踊ってはしゃいだりする。一方、翻案作家はみんなのヒーローで超人で善い大人だと力説。認知的不協和を頭の隅に押しやりながらの読書に若干の負担を感じるのです。

それを差し引いてもめくるめく展開、ルパンへのキャラ萌え、舞台となる20世紀初頭フランスへの一種のエキゾチズムなどが昭和の女子児童をいたく興奮させたものでした。

 

それから二十云年。

怪盗ルパンのマンガが描かれました…しかもルブランの原作に非常に敬意を払い、持ち味を伝える情熱を持ったマンガが。

それがあまりにも自分のニーズにジャストミートすぎて、改めてもう自分死ぬんじゃないかと。

まずルパンがおっさんじゃない。細身で現代的・中性的な黒髪イケメン。これだけで感涙、マジ泣きに値します。

しかもこれはマンガの独自設定ではない。ポプラ社版読んでた子どもの時は気づかなかったことですが、初登場時のルパンは20代半ば、若者だったのです。

 

なぜ小学女児であった私はルパンをおっさんだと思っていたのか。まあ自分が10かそこらのだったからというのもあるのですが、当時のポプラ社のルパンシリーズは『奇岩城』から始まっていたのが大きい。『奇岩城』は少年探偵イジドールの目線で進み、ルパンは堂々たる30代の大人、赫々たる実績を持つ大怪盗として立ちはだかります。

そこでルパンのイメージを固めてしまうと、次の『怪盗紳士』でも脳内イメージはおっさんのまま。次の『813の謎』では表紙からしてヒゲおっさん…。

その立派な(ヒゲ)おっさんが、大人気ない自画自賛したり警察やら金持ちをだまくらかしてはゲラゲラ嘲笑してるという絵が脳裏に浮かぶと、微妙な気持ちが湧き上がるわけです。

 

しかし『アバンチュリエ』は原作通り、『怪盗紳士』の若いルパンから始めるので、そういう違和感がない。あの変に高いテンション、自己顕示欲、むやみに「世間の大人」をあざ笑って見せるところなど、少しでも自分を大きく見せたい、エネルギーが有り余ってる若者のタチの悪さそのものと思える。

さらに若者ルパンが体制の象徴たる警察や金持ちをことさら愚弄したがる理由も、最初のエピソード(逮捕・脱獄)のすぐ後に語られる生い立ち(「公妃の首飾り」)で明らかになる。

こういうイメージを最初にガッツリ植えつけてくれれば、その後のルパンの大人気ない振る舞いも、「あーまだこういうところ残ってんのね」と、一種の可愛げとして生温かく見られるというものです。

 

アバンチュリエ』作者森田崇氏は、ルブランのルパンシリーズが、「全体の流れを通してルパンの人生が見えてくる」「アルセーヌ・ルパン・サーガ」という側面を持っているとして(1巻巻末参照)書かれています。そして、ルパン物語とルパンというキャラの魅力を十分に表現するため、原作の発表順、作中の年代順を再現することに、かなりこだわりを持っているようです(これは作者の鉄の意志がないと実現できないことだろう。その結果としての掲載誌移籍騒動なんだろうけども、結局貫いてるんだからすごい)。

少なくとも私という読者に関しては、完全に作者の狙い通りになったということですね。

 

一方で、原作掲載順ではずっとあとに来るはずの「赤い絹のスカーフ」のエピソードを、『アバンチュリエ』では連載開始後わりとすぐに掲載していてます。

このエピソードは名作として知られているそうで、自分も昔、鮮やかな展開の妙に打たれた記憶があります。同時に、ガニマールの扱いがひどくて(パシリにしといてあざけり倒す)、読後感がスッキリしなかった記憶も。

対して『アバンチュリエ』では、このエピソードが早い時期に使われることで、若者ルパンの華麗な能力とそれに裏付けられた傲慢さ、ガニマールはじめ国家権力がなすすべなく翻弄される状況を、効果的に印象づけられたのではないかと思います。このあとはホームズならぬショームズが登場して、ルパンがたびたびピンチに陥る展開ですから、ここにこのエピソードを入れたことで、ルパンその他、キャラクターの位置づけがはっきりしたと思います。

 

これがマンガ作者の入念な計算によるものであることを示すのが、このエピソード最後にある、ガニマールとルパンによる、マンガオリジナルのやり取りです(ちなみにそれ以外の部分はほぼ原作どおり。ルブランの原作の端正なつくりにも驚かされる…)。

なぜその能力をもっとマトモなことに使わない?と責めるガニマールに対し、「マトモな社会」に対する独自の見解を開陳するルパン。それを聞いてのガニマールの感想は、作者森田氏によるルパンというキャラクターの解釈を端的に表現したものではないでしょうか。

そしてこの一言が、アルセーヌ・ルパンという、魅力的だけども共感はしがたい特異なキャラクターを、非常に理解しやすくするものと思います。

(多分つづく)

ブログの説明

女の体を35年引きずって生きてきた人間には、世の本やらマンガやら映画やらドラマやらゲームがこんな風に見え(感じられ)てならない、という思いを吐露するブログです。

でもこれだって、男の体から出てきた感想と同程度には「ニュートラル」だと思うんですよ。