妾(わたし)の感想日記

徹頭徹尾女(自分)目線の感想文

話すことの恐怖と快楽:『昭和元禄落語心中』①

何ですか、もう6月も今日で終わりなんですって。ここで更新しないと「日記と称して月一度更新」という何か月前だかの記述さえ無効になるということで、人間の意地として更新せざるを得ません。

ただ今、ひどい鬱状態なんですよね。できれば一言も発したくない、話すにしろ書くにしろ。連休中に夏休みまでのスケジュールが山盛り過ぎてそれだけで鬱が入ってたんですが、やってみたら案の定夏休みまでもたないという予定調和な結果です。

しかし何とかあと1ヶ月はもたせなくては。いやこの状況に至るまで2か月かかってないのに、もう1ヶ月って有り得ないわ。

 

何が問題って、私は人前で自己表現するというのが大嫌いだということです。しかし現在、週に270分以上多いときは3ケタの人の前で話をしております。最近はときどき必要に迫られて英会話学校行ったり外国人とスカイプしたりとか、負わされるタスクのコミュニケーション難易度が年々高まり、無理がたたって数年来最強の鬱状態

それでなんでブログなんて書いてんだって話ですが、これ書かなくても現在鬱のまま今週のタスクのウィンドウ を3つくらい開いてるので、一つくらい増えても変わらないのです。ただこういうときは記憶がしばしば欠落するので、昨夜はドーピングのため旦那に肉を食わ せてもらいました。

 

とにかく、人前で話すのは恐ろしいことです。

だだっぴろい空間の壇上に一人で立って、居 並ぶ観客の反応をすべて背負わなければならない。刻々変わる空気に合わせて、うまく話の筋と自分の動作をコントロールしようとする。うまくいくときもあるけど、お題と状況、自分のスキルによっては本当にどうにもならない時もある。攻めてみてウケなかった(のに、そのまま続けなくてはならない)ときの恐ろしさ。準備不足であれば焦燥で頭は真っ白。自分はいいと思ったのに観客から批判された時の混乱と失望。しかしハマったときには中毒的なカタルシス。

 

そのすべてが、『昭和元禄落語心中』の中にはあるんですよね。

昭和元禄落語心中(1) (KCx)

昭和元禄落語心中(1) (KCx)

 

噺家という話すことの極北を目指す人々の話に、私なんかがシンパシーを覚えるのはとてもおこがましいのですが、ライトの熱さ、暗がりの中に恐る恐るうかがう観客の表情、口を開くときの身を切るような緊張感など、頁をめくるたびに目もくらむような思いになります。

さらに高座を降りて繰り広げられる、時代を超えた人生のドラマ。これを品を保って描きだすところに、作者の知性に裏打ちされた禁欲的努力を感じます。

こういう芸事の特殊な世界は、リアルに書くほど一般受けしない濃いキャラクターのオンパレードになってしまうのですが、そこを全く割り引かずに書いているのも脅威です。これは編集の人も偉いよなあ(以下、いつか続く)。