妾(わたし)の感想日記

徹頭徹尾女(自分)目線の感想文

依存症の深淵:「借金は身を滅ぼす」

大分前に話題になったらしい下のメルマガのまとめを先ほど読了。

破滅へ向かう人の心中はどのようなものであるのか、なかなかのぞくことのできない深淵を赤裸々に描いてくれる名作です。

matome.naver.jp

筆者はパチスロで多くの金融機関に借金を作り、次々とやってくる返済期限を新たな借り入れによってしのぐという行為を繰り返します。

本文の一パートごとに総借入額・借入先・月の返済額が示され、読み進めると雪だるまのように膨らんでいく筆者の危機を追体験することに。走り続ける借金列車がどこでどのような終末を迎えるのか、手に汗握りながら一気に読み切ってしまいました。

 

ただこの記事、問題の核心は借金ではなく「ギャンブル中毒(依存症)」なんですよね。借金もそれを隠す嘘も人間関係の破たんも、依存症の典型的な症状ですし。それをメインテーマにしなかったのは、依存症者の否認症状の表れか、単にその方が書きやすかったのか。

 

 筆者は手に入るあらゆるお金をすべてパチスロに突っ込みます。学生や社会人としての生活は表面上こなすし、こんなことをしていてはいけないという自覚もあるのですが、しかし「あと一回やってやめよう」とか「一万円だけなら」などの思いから結局陥落。返済期限前のピンチは深刻さを増す。

いよいよダメかと思うときの脳神経が焼けつくような焦燥、何とか乗り越えたときの高揚感。視界は狭く、歪んでいく一方。

 

私にとってこれ、他人事じゃありません。仕事やりたくなくてダラダラネットを見てて、締切が間近になったときの状況そのものです。今まさにそういう状況でこの記事を発見したところで、深く考えさせられました。

自分に関して言えば、もっと自己コントロールしろというそれだけなのですが、しかし一般論としてはどうか。依存症は逃避や「心の弱さ」の延長なのか、はたまた依存性の高い物質やサービスの起こす悪なのか。仕事したくないからネットするのか、ネットが面白いから仕事しなくなるのか――この問題に決着をつけることは非常に難しく、また意味もないような気がする。おそらくそれは鶏と卵の関係みたいなものだろう。

 

現代社会の日常生活は人の嗜癖をお金に換える商売で満ち溢れており、誰かが依存の深淵に落ちてくれるのを虎視眈々と狙っている。落ちるのはたしかに、特定の弱さを持っている人だろう。ただ、人が嗜癖するものはあまりに多く、お酒やタバコに始まり、買い物、SNS、ネットサーフィン、ある種の「意識高い」活動にいたるまで、何にも引っかからない人はまれではないか。

むしろこれを現代社会に生きる上での宿命と覚悟して、嗜癖を飼いならしたり、やり過ごすしたりする方法を開発したり、シェアしていくほうがよいではないかなどということまでつらつら考えました。

ただそれは、コントロールをむしばんでいくものを客観視してできる限りコントロールしていこうということなわけで、困難を極める試みであることは間違いないな。